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ディスニー D23

最近のお仕事。
今週末(11月6、7、8日)にディズニーリゾートにて開催されるディズニーのスペシャルイベント D23 EXPO 2015 において、特別限定商品を製作させていただきました。
大人のミッキーファンのための大人のダイヤモンドジュエリー。
おかげさまで、予約数全てご注文をいただきました。
ありがとうございました!

D23 EXPO 2015 公式サイト
# by sayaka_ozawa | 2015-11-04 11:53 | 仕事のこと

ユー、行っちゃいなよ

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10月のこと。家族でフィリピンへ行ってきました。
ゆうたろうの「学校見学」のためです。

ゆうたろうは来春から中学生。
半年後、このまま地元の中学の特別支援学級に通うか、それとも…。

おそらく、ゆうたろうは、普通の高校へ入学することはできません。学習も遅れているし、そもそも入学のためのテストに答えを「書く」ことができないから。
(入学試験を口頭で答えることができるように、との取り組みは最近各地でされてきているようですが、まだまだ一般的ではありません)

ゆうたろうのような発達障がい児は、知能検査の結果で区分される国や地方自治体から障害者としての認定が受けられないとのことで、社会に出るのに少し難しい状況でもあります。
(こちらも自治体によっては手帳の交付がありますが、からすがわの街では取得ができないそうです)

そんなゆうたろうに将来の選択肢を少しでも広げてあげられたら…。

とかなんとか、そんな堅苦しい感じでもないんですけどね。

将来ハリウッドスターになるんでしょ、じゃ、まずは英語話しておこうか! 
ってことで。

見つけたのが、フィリピンのとある学校。
日本からの不登校の子どもたちが寮生活を送るフリースクール。
寮から現地の学校にも通うことができます。
フィリピンではタガログ語のほか、ほとんどの人が英語を話すそうです。学校での授業も英語。

スクールの方にメールで色々ご相談させていただいたところ、丁寧な返信をいただきました。
ゆうたろうのような書字障がいの子どもも受け入れてくださるとのこと。
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ユー、行っちゃいなよ。
楽しそうだよ。

…とはいえ、実際にどんなところなのか、まずは現地へ行って見てこよう!というわけで、1週間学校と仕事のお休みをいただいて家族旅行となったのでした。

のんびりした街の、のんびりしたフリースクール。
フィリピン人と日本人の子どもたちが一緒に寮生活を送っています。
笑顔が素敵な皆さんに、とって良くしていただきました。
ゆうたろうも楽しく過ごし、気に入った様子。
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寮母さんの手作りのフィリピン料理も、とーっても美味しかった!


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将来の夢に向かって英語を学ぶきっかけになればいいし、なにより世界に飛び出てみたら狭い日本にいるより、ずっと視界が広がるのではないかな、と思うのです。
# by sayaka_ozawa | 2015-11-04 11:52 | 家族のこと

小学生男子 その32

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「安心してください、はいていません。」



参考:とにかく明るい安村→https://www.youtube.com/watch?v=a4usNk8pq3Y


# by sayaka_ozawa | 2015-08-17 09:24 | 家族のこと

ターミネーターとディスレクシアと彼の夢、私の夢

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夏休み。

ゆうたろうと2人で映画を観に行ってきました。
ターミネータージェニシス(公式サイト→http://www.terminator-movie.jp)を映画館で字幕で観てみたいと、ゆうたろうが言い始めたから。なんでも吹き替えだと声と演技に違和感があるのだとか。というわけで、初めての字幕映画デビュー。

今までのブログを読んで下さった方はご存知だと思いますが、我が家の小6男子ゆうたろうは、5年生の途中まで字の読めない人でした。自分の名前以外は、ひらがなをなんとか拾い読みするのがやっと。カタカナと漢字は全く読めず、当然ながら国語の教科書は読めないので、次第に教科書を開くことがなくなり、ついには授業を受けることもできなくなりました。

ターミネーターはSF映画。難しい用語も多い上、字幕には基本的に漢字にルビもないし、字が流れていくのも速いのです。

大丈夫なのかな、途中でストーリーがわからくなってしまうのではないかな、という私の心配をさらりと裏切り、ゆうたろうは内容をしっかり理解し、上映後には満面の笑顔で面白かったと喜んでいました。映画好きの彼はDVDでターミネーター1から前作まで吹き替え版と字幕版を交互に繰り返し見ていたのです。(ターミネーター2しか見たことなかった私よりずっと楽しんだみたい!)


この一年で、かなり読めるようになってきたと感じてはいましたが、映画の字幕が読めるようにまでなっていたなんて。
そういえば、今では字幕だけでなく、興味のある本を普通に読んでいます。漢字の読みに関しては平均の六年生より優れているまでになったと、先生もその成長に驚いているくらい。


ブログの更新がゆっくりになったこの一年ほど、いろいろなことがありました。
その間にゆうたろうは、本を読めるようになり、友達ができ、同じ障がいを持つ子とメールでやりとりするようになり、いじめられていたという理由で避けていた同学年の子供たちとも接することができるようになり、今年の音楽会には堂々と参加し、そして将来の夢を持ち始めるまでになりました。(音楽会と鈴の音→http://kawasugawa.exblog.jp/16672956

そんな彼の将来の夢。

それは大好きな映画に関わる仕事に就くこと。
ハリウッド俳優になりたいそうです。
そのために、英語も学び始めました。


…数年前、同級生からいじめられ、学校に行けず家に閉じこもり、おれはもう死んでしまいたいと泣く日々を繰り返していた、将来の夢も希望もなかったころ。
車の中で何かの話をするうちに、ゆうたろうから、お母さんは小さいころ何になりたかったの?と聞かれました。

記憶を辿り思い出したのは、私が幼稚園の年長のとき。大好きだったチズコ先生に促されて答えた、大きくなったらなりたいもの。

「本を書く人」

私は小さいころからずっと本を読むのが好きで、でも、色々な本を読めば読むほど私には才能がなく到底無理だと次第に諦めていったこと、年を重ねるたびに夢を抱くことさえ恥ずかしくなっていったことを苦々しく思い返しながらも、平然を装って答えました。

「うーん、今の仕事も気に入っているけど、とても小さかったころは本を書く人になってみたかったかな。」

そして、ゆうたろうに言われました。

「ふーん。で、いつ本、書くの?」

「…いつか…たぶん。」

そう言葉を濁して答えて以来、時間が空くたびに考えていたのです。
自分の子どもに将来の夢を尋ねる私自身が、幼いころの夢を諦めているなんて、だめじゃない?と。


ゆうたろうの障害がわかってから、関連する書籍を読み漁りました。でも、正直なところ私の満足できる本はありませんでした。もちろん部分的に参考にさせていただいた本も多くあるけれど、何かが違う。まだまだディスレクシア、カリキュレシアに関する情報は足りないと感じます。私は親として、もっと知りたかったのです。どうしたらいいの?と。

もしかしたら、同じような障がいを持つ子どもたち、そしてその親は、私やゆうたろうと同じように悩み手探りで道を探しているのかも。

そして結論。

私が読みたかった本を、自分で書こう。書きたい。

だから、私、本を書こうと決めました。

そのための準備として、ブログの更新をほぼお休みしている間、ノートにゆうたろうの日々の記録を書いていました。思いつくままの走り書きと箇条書き。まだ全然まとまってはいないし、一冊の本になるのは正直いつになるかはわからないけど。本として出版なんてハードル高過ぎだけど。根性なし自信なしの私が大丈夫なのかわからないけど。
でも、ちゃんと叶えられるように進んでみようと思います。きっと、私にだってできるはずだから。40歳目前だけれど、まだ遅くはない、はず。


すみれさんは、茶臼山動物園の夏休み飼育員1日体験に同じクラスの仲良し女子3人組で参加し、楽しみながら飼育員か動物の研究者になりたいという彼女の夢を再確認したようです。(茶臼山動物園→http://www.chausuyama.com

からす川通信も気まぐれながら、ゆっくり更新していきます。今後ともゆるゆると、おつきあい頂けたら幸いです。
# by sayaka_ozawa | 2015-08-09 21:37 | 家族のこと

ネパールの大地震

高校に通っていたある日、なんのために勉強しているのかわからなくなりました。

高校3年生の4月になってすぐ。しばらく学校を休むことをきめて、ふらりネパールへ行ってみようと思ったのです。
ネパールにはちょうど貿易業務をしなたらネパールに住んでいる日本人と、1年くらいネパールを放浪している日本人、ふたりの友人が住んでいました。
その頃は、電話もきちんと通じなかっので、手紙を書いてカトマンドゥに行くといった旨のエアメールを使って計画を立てたような気がします。
まだインターネットが普及してなくて、電話でさえも自由にかけれない状態だった時代です。

初めての一人旅で、めちゃくちゃ下手な英単語をならべて、なんとか格安チケットを確保し、一泊100円の宿に10日ほど滞在したのでした。
滞在の途中、外国からの観光客だけでなく、地元のストリートルドレンたちとも仲良くなり、彼らから生きるという術について多くのことを学ばせてもらいました。
わたしが大人になるための大切なこと、生きて行くということの意味を教えてもらった、わたしにはとても思い入れの多い場所です。

私が知っているあのカトマンドゥの街並みが地震で倒壊して大変な事態をテレビで見ました。
お世話になった人々、そしてひとりでも多くのネパール人のみんながたすかりますように。

東北の大震災のときも、ちっぽけな金額の募金くらいしか力になれなかったけれど、、、今回もやはり募金をいうささやかな手段くらいしか思いつかないけれど、大好きなネパールの人々が少しでも地震前の豊かで朗らかな国に、少しでも早く戻れるよう協力したいと思っています。
# by sayaka_ozawa | 2015-04-28 00:26