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20年前からの伝言

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名古屋へ行ったときに、弟が突然言いました。
「そういえば、A君元気?」
「え?!なんで名前、覚えてるの?」
「そりゃそうだよ、あの電話、オレが受けたんだもん。なんとか病院の先生から突然電話がかかってきてさー、
A君がバイクに乗ってて大きな事故にあいました。助からないかもしれません。本人が、サヤカさんにどうしても会いたいと言っていますって言うからさー、びっくりしたよ。」

え?
えーーーーーーーーー!?
知らない。

「あれ、知らんかった?あれ、ねーちゃんに伝えてなかったけ?オレ。」







Aくんと出会ったのは、中学1年の時の夏休み。
カリフォルニアのとある小さな街でのことです。

某旅行会社の企画で、中高生向けの2週間程度の短期留学というものがありました。現地でホームステイしながら、近郊の街を観光できるというもので、私も私より3歳上で高校生だったAくんも同じ企画に参加していたのでした。

主に関東圏を中心に参加していた全員と仲良くなり、連絡先を交換しました。グループ全員で再会をしたこともあります。その中でもAくんは特別親しく、帰国してから定期的に電話で話をしたり、手紙のやりとりをしていたのです。

もし、男の子と女の子が2人で会う事をデート、というのであれば、Aくんは私が初めてデートをした人です。
東京へ会いに行き、映画を一緒にみたり、吉祥寺や井の頭公園を並んで歩いたり。
Aくんが元なんとか大臣の孫だった、ということもあり、ミーハーなまみちゃん(母)は、いたくAくんを気に入っていました。
親同士でも電話で仲良くなったらしく、Aくんの家に泊めてもらったりも。
そういえば、浜松まで会いにきてくれた事もあったなぁ。

…手をつなぐ事もなかったけど。

オトナになって、きっと私はAくんに好かれていたんだなと思います。
いえ、いつだったかの誕生日にキラキラした指輪が届いた時に、薄々気づいていたのが正直なところです。

でも、私にとってAくんは、なんでも相談できるお兄ちゃん、みたいな存在でした。
それに、私は、時々しか電話できず、会う事も年に数回に限られたAくんよりも、まわりの友達みたいに、もっと身近にいてくれる人と普通の恋(たとえば、一緒に学校から帰る、、とか。)をしてみたかった。

Aくんに最後に会ったのは、中学3年生の冬。
それから、Aくんの大学受験と私の高校受験と名古屋への引っ越し準備などお互いに忙しくなり、連絡をすることが少なくなりました。

彼の家の電話番号は何度もかけていたから暗記していたけれど、いつの間にか忘れてしまいました。
高校生になってすぐに初めての「彼氏」ができたからです。

その後、連絡は途絶えました。
名古屋の家の電話番号を知らせないままだったので、事故が起きた時、おそらく浜松の家に電話があり、弟がそれを受けた、という訳です。

憶測ですが、おそらく私はその時、すでにアメリカに留学していたのかもしれません。
国際電話のかけかたや、時差の計算とか、弟にはハードルが高かったのかも。笑

ともあれ、20年の後に、やっと伝言が私に届きました。


事故に遭ったA君は、奇跡的に助かり、今は元気に暮らしているそうです。
結婚をしてA君によく似た男の子のお父さんになっているのだとか。
数年前、ひょんなところでAくんのお母さんとお姉さんに会ったときに聞きました。
よかったよかった。

たぶん、どうしても、と思えば、Aくんに連絡することもできるのですが、それはこの先ないでしょう。
彼は家族をもって幸せに暮らしているし、私もまた愛する家族がいるから。
そういえば、お花をくれたこともあったな、と今日、川べりに咲く花をみて古い記憶がよみがえってきたのでした。


それにしても、弟よ。なぜ、そんなに大事な伝言を20年も伝え忘れていたのだ…。
(ま、そのおかげでシンタロウさんと結婚できたから、結果としては、よかったのかな。)
by sayaka_ozawa | 2013-10-30 19:42 | 植物と思い出の話


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